ボランティアの先輩、Uさん。誰とでも分け隔てなく言葉を交わし、話す機会の少なかった僕とも親しく声をかけてくれた。
多くの人が尊敬して、カリスマを感じるとも言っていた。
当時20代後半。僕より8歳年上だったけど“カリスマ”は大げさなんじゃないかと、会ったことのないうちは伝え聞くボランティア仲間の言葉をひねくれて受け止めていた。
けれど、会ってみてけして大げさではないのだと感じた。
何十人の集まりであっても一人の不満も出さずにまとめ上げる力があるように思った。一言で言えば温かみのある人。
グループ活動に関係して問題が生まれたとき、東京から神戸に駆けつけて問題解決に奔走していた姿が印象的だった。
ただ聞き役に回って、仲間の不満を聞いている姿に包容力、もっといえば大きな人間と感じた。
#実際、体も大きかった。
8年先、Uさんの年齢になったとしても、これだけの人間に成長しようと思っても追いつけない。少しでも近づけないかと当時思っていた。
(参考:T 社長の手記http://www.npo.co.jp/hanshin/10book/10-041.html)
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そんなUさんが交通事故で急逝されたのが1996年8月26日。
葬儀では家族や多くの友人に囲まれていた。
2人姉弟の下。友人には頼りがいのある、大きな男だったけど、家族の中では可愛がられていたのだと想像させられた。一家の一員を失った家族の悲しみは想像しつくせなかった。
阪神・淡路大震災のボランティアで知り合った彼の最後に、この想像さえ困難な悲しみのエピソードが、震災の中で6千通り以上も存在することを教えられた気がした。
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「ガレキに種を蒔くんだ」
震災ボランティアとして活躍したUさんの死を報じた新聞記事に彼の言葉が紹介されていた。
「Uさんの蒔いた種が花を開くのを、Uさんはもう見ることはできない。生きている自分にはそれができるのだから、見届けたい。できることならその種に水をまき続けることができはしないか。」
新聞記事を読んで感じた想い
これまで神戸で過ごした十余年、当時の想いを思い出すと恥ずかしくなるほど、充分な仕事をしてきていない。Uさんの墓前に胸を張って報告できることも何もない。
思っていたよりもあっさりとUさんの年を追い越してしまったけど、全然近付けている気がしない。
それでもUさんに、今を見つめることを学んで、思い出の中で支えられたから今の自分がいる。
唯一、Uさんを超えられるもの。年齢! Uさんにも教わった命の尊さを実感しながら齢を重ねていこう。
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23日に当時のボランティア仲間が墓参に集まったらしい。
一緒に参れなかったけど、また近いうちに挨拶に行こう。
今日は神戸の地より、Uさんの眠る群馬の空に向かって手を合わせます。
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