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2011年3月25日 (金)

石巻での作業

20日の作業写真です。

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避難所になっている石巻市内の小学校前。
歩道は津波で流されたクルマやガレキで塞がっています。
生活空間になっている校舎にはここからグラウンドを通って、出入りするのですが、ガードレールを乗り越えないと行けません。

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ガードレールをはずして、スロープを付けました。

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スロープには近くにあったガレキの中からドアーなどを使わせてもらいました。

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このあと、この奥の通り道に板などを敷いて、歩きやすくしました。
それでも足下が緩い土なので、雨などが降ると歩きづらいかと思います。

人手があればもっと通行を容易にしたり、ガレキの撤去なども出来るのですが、今回はここまで。

同小学校の体育館。
津波で土砂が入ってきていました。
ひどい水害と同じ様な状況です。
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スコップなどを使うマンパワーに加えて、除雪に使う機械も使って、除去作業が続きます。

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膨大な量の土砂が書き出され、この日の夕暮れに大まかな土砂は排出されました。
まだ掃除などの復旧作業は続きそうです。

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2011年3月24日 (木)

石巻、津波による被害の様子

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2011年3月23日 (水)

石巻へ

石巻へ
石巻へ
石巻へ
一昨日の夜に神戸に帰ってきています。

19日夜発で連休の間石巻に行って帰ってきました。

津波のエネルギーの大きさに圧倒される景色に胸が締め付けられるようでした。

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選抜高校野球開幕!

大震災を受けて、開催が議論されていた春の選抜高校野球の開会式が、式典を簡素化されつつ行われた。

応援する方も郷土への想いを感じる高校野球。
きっと球児のプレーは多くの人に元気を与えてくれることと期待します。


多くのスポーツの関係者もプレーを通じて応援しようと動いていて、プロ野球パ・リーグやサッカーJリーグはナイターを極力控えるなど(プロ野球セ・リーグを除き)大震災や関連の影響に配慮しながら開幕、再開を決めている。

春から夏にかけてのスポーツがシーズンを迎えた。

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2011年3月17日 (木)

13日に宮城県名取市で撮影した写真

名取市の様子。3月13日撮影

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2011年3月16日 (水)

安否確認

12日土曜日、夕方に仙台市に向かいました。
中越でたびたび泊めてもらっているHさんちのT君が仙台の大学に在学していて市内に下宿していた。
最初の地震直後に無事を知らせるメールが有ったもののその後連絡がとれなくなったというので、訪ねることにした。


下宿先のアパートは仙台市中心から海と反対に坂を上がるので津波の心配はなく、外観は被害を感じる所はない。
けれど気配が感じられず、戸を叩いても反応はない。
ここで日が暮れて、少し不安になる。

ケンジさんの提案すぐ近くにある避難所になっている小学校に行く。
ケンジさんが原付バイクを探すが無いので不安な顔をする。
避難所のお世話をされてそうな人を見つけて問い合わせてみる。きっちりと名簿を作っておられたので見せてもらった。
T君の名前はなかった。
名簿を出してくれてた学校の職員と思われる方に礼を告げ立ち去ろうとすると
「市民センターは行ってみたの?」
と聞かれた。


別の避難所を教えられて、そこに向かう。今度こそ。
ここでもバイクは無かったが、施設の職員さんが対応してくれて名簿を見せてもらった。
今日(12日)の記名簿には探している名前は無かった。
最後に見せてもらった前日(11日)の記名簿にケンジさんがT君の名前を見つけた!

避難所に居る30〜40名の方々に向かって呼びかけてみるも返事は帰ってこなかったが、前日、確かにここに居たことが分かって安心した。

この日のは会えないまま避難所を後にしたが、翌13日にT君と会うことができて、一緒に新潟・中越まで帰ることにした。

中越を発つときにもらったおにぎりを是非T君に食べてもらおうと残して置いた。
「お母さんの握ってくれたおにぎりだよ」
と渡すと
「ここのところ、禄な物を食べれていなかった」
と言ったとき、初めて表情がゆるんだ気がした。

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宮城の日記は3日遅れです。

前とこの次の日記はこのあいだの土日のことを振り返って書いています。
現地では携帯もつながらず、ブログの更新が困難な状況でしたが、自分の作業能力的にリアルタイムでの更新ができていませんでした。

僕は月曜日の早朝に神戸に戻っております。
もし、今も現地に居ると思われて、ご心配下さる方がいらしたら申し訳ないので、念のため記します。

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2011年3月14日 (月)

12日、宮城へ

12日、宮城へ
土曜日の午前に中継点にさせてもらおうと考えていた小千谷に到着。
ここでケンジさんが合流してくれました。

緊急車両以外の通行を禁止している磐越道とその周辺道路を避けて、日本海側をしばらく北上、国道113号で山形県南部を横切るルートで宮城県白石市に入りました。

白石市の知人を訪ねるも留守でしたが、ご家族や近所の方から話を伺い、ライフラインが途絶えたことなどから不安を感じている様子が伺い知れました。

次に名取市にある福祉団体の施設に。
ここでは災害地の活動で馴染みの顔ぶれと会えると思ったのですが、この時間では会えませんでした。

夕方、仙台に行ってみることに。

つづく


写真は食料を求める列だと思われます。
各地のスーパーやコンビニで行列が出来ていました。

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2011年3月12日 (土)

災害応援の消防隊

災害応援の消防隊
北陸道では、本線もパーキングエリアでも多くの消防の車両が見られます。

パーキングエリアで居合わせた消防士さんに聞くと、当初予定していた宮城県への応援のほか、4時前後に起きた新たな地震のため、分隊して長野にも向かうとのことでした。

ご苦労様です。安全作業をお祈りします。

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2011年3月11日 (金)

大地震

被害を伝える報道に胸がつまる感覚。

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